立志塾高校部卒塾生から
生徒への手紙
立志塾少し前に卒業していった先輩たち、大学で、社会での経験から、今の立志塾生に伝えたいことを、シリーズとして連載いたします。
頭が良い、悪いなんて関係ない。「行動するか・しないか」
加茂高校 普通科卒/明治大学文学部合格
2019年卒塾 北田浩二郎君
〔「偏差値32」から早稲田・明治・立教等、数々の難関大学合格を果たした。高校時代は落ちこぼれで、荒れた生活だった。しかし卒業後、人生を変えるべく立志塾の門を再び叩いた。全てを賭けた彼の怒涛の学習で、明治大学A判定・早稲田大学B判定をとるまでに。そして志望校全てに「合格」。ドラマのようなストーリーを彼は地でやってみせた。多くの後輩が憧れる卒塾生である。 〕
「受験から逃げた現役時代。」
僕は周りの先輩方のように「現役の時も勉強をして試験を受けたが落ちてしまい、浪人して再チャレンジする」といったような形とは全然違っていた。現役生の時早々に受験競争から尻尾を巻いて逃げ、楽な方向、楽な方向へと言い訳を続けていた。典型的な、しかもとんでもなく情けない落ちこぼれだった。 (続きはこちら)
受験でも会社でも変わらない事実、「因果応報」
加茂高校 国際文化コース卒/早稲田大学国際教養学部合格
2003年卒塾 安江宏樹君
〔中学1年生から高校3年生までの6年間、間断なく立志塾に通い、立志塾初の早稲田大学合格者。立志塾をいつも「我が母校」と言い切ってくれる生粋の立志塾っ子。大学時代は、1年間イギ リスに留学し、早くからグローバルスタンダードを体感し、本物の国際感覚を身につける。現在は豊田系の商社に勤務し、全世界を相手に活躍する。中学、高校時代に培った真摯にやり切る力と魂は、社会人になってからも、さらに磨きがかかり、彼の人生を今もなお、さらなる高みに加速させ、彼を光り輝かせる。〕
「苦渋の期間を超えた、 その先にあるもの」
2013年11月結婚をした。ふとしたことから恩師 を思い出し、挨拶に訪問したところ、このエッセイを 書くことになった、光栄な事である。中学高校と通った我が母校、立志塾を卒業し、早10年が経と うとしている。忘れることのできないあの頃を振り 返り、ここに改めて記そうと思う。今思い返すと、やはり受験はつらいものだったと思う。受験勉強が本格化する高校3年時、私は部活と文化祭双方に力を入れていた。勉強も部活も学生生活も全て楽しむ、という信念もとに過ごしていたが、そんなに甘いものではなかった。朝練で5時起床、文化祭の準備で帰りは23時過ぎ、そんな日でも塾へは必ず足を運んでいた。今日はもういいや、では無く、こんな日だからこそ、今日ここまで出来たら受かる!という自分ルールを設け、いつも先生たちの帰りを遅らせていたものだ。(続きはこちら)
数々の挫折を乗り越え、僕が分かったこと
加茂高校 理数科卒/早稲田大学教育学部合格
2009年卒塾 今井誠弥君
〔中学1年生から高校3年生まで立志塾に在籍。現役時代は、英語長文の音読の回数を可児校舎の4階までの階段の数を使い、ひたすら音読をした。河合の早慶オープン模試世界史全国2位、代ゼミの早大入試プレ世界史全国1位・英語1位、慶大入試プレ世界史全国2位の実績をもつ。一度は青山学院大学に合格するも、大学に通いながら、しかも一つの単位も落とさず、翌年早稲田大学教育学部に合格。現在は立志教育デザイン研究所に所属し立志塾の後輩達に毎月の受験コンサルで、自身の培った受験ノウハウを後進に指導する。〕
「受験に才能は関係ない。」
僕の受験はまさしく挫折の連続だった。現役時代、志望校を早慶に定めて僕なりに一生懸命勉強してきたつもりだった。しかし模試での志望校判定は常にE判定。D判定すらとることができず受験当日を迎えた。今思えばそんな状況の中で僕は内心では志望校をあきらめていた。漠然と「早慶に落ちても滑り止めの大学には受かるだろう・・・」と思っていた。しかし結果は12月の直前の模試も含めてずっとA判定だった滑り止め大学に落ちたのを初め、結局受験した大学すべてが不合格だった。(続きはこちら)
あれから5年、 立志塾生に今、 伝えたいこと
加茂高校 理数科卒/慶應義塾大学環境情報学部合格
2008年卒塾 加藤宏志君
〔中学・高校・浪人と7年間を立志塾で過ごし、加茂高校→慶應義塾大学(環境情報学部)に合格。現在は社会人2年目。大手外資系企業に勤務する。大学在学中は、毎年年末に行われる「センター英語で190点とる会」等で、その経験や学習方法を後輩に伝え続けた。〕
「等身大の自分を受け入れること。」
今振り返って思うと、受験を通して学べたこと、そして今も活きていることはこれだと思う。
どうしてあいつは自分よりそれほど勉強していないのに点数が取れるんだろうと落ち込む、あるいは、目標に達していない自分に不安になり、落ち込み、目の前のやるべきことに集中できず逃げ出したくなる、そう思うことは、点数という絶対的な比較基準の下で勝負する受験において一度は感じることだと思う。僕自身も、受験のときは最後の最後まで合格基準点に達することができず、受験日の前日まで「安心」なんて言葉は頭の中に微塵もなかった。(続きはこちら)
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